科長ブログ

初等科入学式のことば

2009年04月09日

「ある所に、狐さんと鶴さんが住んでいました。二人は(二匹は?)、おたがいに友達になりたいと思っていました。
 ある日、狐さんは鶴さんを自分の家に招待しました。そして、いつも使っているお皿に、おいしいスープを入れて、鶴さんに出しました。でも、鶴さんは飲めませんでした。

 しばらくたったある日のこと、こんどは鶴さんが狐さんを自分の家に招待しました。そして、いつも使っているお皿に、おいしいスープを入れて、狐さんに出しました。狐さん
は飲めませんでした。」

 みなさん、入学おめでとうございます。
 みなさん、お話の聞きかたがじょうずですね。
 お話は、いまのみなさんのように、お話をしている人の方をしっかり見て、体をむけて聞きます。耳で聞いていても、よそ見をしていたのでは、お話をしっかり聞いていることにはなりません。お話は、目と、耳と、体で聞きます。

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 いまのお話を聞いて、みなさんはどう思いましたか。どんなことを考えましたか。
 何年か前に、私が一年生の主管をしていたとき、このお話をクラスの子供たちに、今日と同じように話しました。(学習院初等科では、学級担任の先生のことを、主管といいます。)すると、一人の男の子が、とつぜん手をあげて言いました。
「狐さんはいじわるです。」
すると、次の子が、
「いじわるとは、いえません。」
と言いました。
 二人の友達の話を聞いていた他の子供たちも話し出しました。
「狐さんがいじわるなら、鶴さんもいじわるです。」
「狐さんも、鶴さんも、いじわるではありません。」
つぎつぎと、賛成の考えや、反対の考えなど、いろいろな考えが出てきました。

 狐さんは、いつも使っているお皿をだしたのなら、鶴さんに意地悪をしようとする気持ちはありません。でも、平らなお皿だと鶴さんはスープを飲めないだろう、と考えたなら狐さんは意地悪です。
 また、鶴さんも、いつも使っているお皿をだしたのなら、狐さんに意地悪しようとする気持ちはありません。でも、細長い一輪ざしのような器だと狐さんはスープを飲めないだろう、前の仕返しをしてやろう、と考えたなら鶴さんは意地悪です。
このように、同じことであっても、いろいろな考えが出ました。

 本を読むことは大切なことです。
 でも、おうちで読んだだけならば、自分が思ったことや考えたことを学ぶだけで終わってしまいます。
 ところが、同じ本を学校で読み、みんなで考えるとどうでしょうか。自分が思ったことや考えたことだけではなくて、お友だちが思ったことや考えたことも学ぶことができるのです。これが、学校で勉強するいいところなのです。学校とは、そういうところなのです。


 ご来場の皆様、本日は学習院初等科の入学式にお出でいただきましてありがとうございました。また、お子様のご両親、ご家族の皆様、ご親類の皆様、ご入学おめでとうございます。お子様は、今日から学習院初等科の児童です。
 昨年の学校説明会や入試説明会の折にも申し上げましたが、いま初等科では、
「学ぼうとする子どもの育成」
「学びあおうとする子どもの育成」
という課題に取りくんでいます。もう分かっているよ、できるよという児童ではなく、そのあとはどうなるだろう、ほかの考えはないだろうか、という児童に育ってほしいと考えています。また、自分の考えや技能にとどまることなく、友だちの考えを知り、友だちの作品を鑑賞することにより、自分の考えや技能が、より広く、より深く、いっそう充実したものとなっていく児童に育ってほしいと考えています。そのための労を私たち教員は惜しんではならないと思いますし、その労を父母の方々と共に分かち合いたいと思います。
 ご入学、おめでとうございます。

三浦 芳雄