科長ブログ

ナイルの氾濫

2012年07月11日

 いつも手元にある見慣れた資料でありながら気がつきませんでした。それはナイル川の水位を表した、1930年頃の記録です。流れが穏やかなときの水位は1、2メートルですが、9月初旬のころ8.3メートルの記録が残されています。ナイル川流域は、およそ6月から9月までの「増水の時期」、10月から2月までの「減水と湿潤の時期」、そして6月までの「乾燥の時期」となります。1年間はこの繰り返しで、ナイルの干満は規則的に、何千年もの間変わらなかったのです。

 東日本大震災を経験した私たちにとって、この8.3メートルという数値が何をもたらすのか、記憶に新しいところです。日本列島よりも長いナイル川が、上流の雪融け水とともに定期的に氾濫しました。その様子は、
「ナイルが氾濫すると、エジプト全土が海のようになる。」
「町だけが水上に顔を出し、さながらエーゲ海の島のようだ。」
などとヘロドトスは記しています。氾濫によって運ばれてくる豊かな土壌は、ナイル川流域に多くの富をもたらしました。

 しかし、流域に住む人々にとって、その富は定期的な氾濫との戦いでもありました。氾濫から逃れても、周りの土地は砂漠に囲まれており、河川流域に戻ってくるしかなかったのです。自分たちの生活を守るには、知恵を絞るしか生きる術はなかったのです。
 定期的な氾濫を予想するために、正確な暦や天文学が発達しました。次に発達したのは測量技術です。このころ縄を使って測量をする縄張り師と呼ばれる測量師が現れました。例えば長いロープを、3対4対5の割合で張ると直角三角形ができます。このような知恵で、荒れ地の区画整理をしていったのです。この「土地geo・測量metry」が、今日の「幾何学geometry」の語源になっています。

 このような古代エジプト人の多くの経験的知識は、古代ギリシア人に引き継がれ、タレスやピタゴラスにより今日の数学の基礎が創られていきました。タレスは、ピラミッドの高さの測定、三角形の合同条件、対頂角や二等辺三角形の定理などで知られています。ピタゴラスはピタゴラスの定理が有名です。

 ここで初等科の皆さんに望む大切なことは、縄張り師やタレスの考えが日々の諸問題を解決していったのではなく、日々の諸問題から逃れなかったことが日々の問題を解決する実り多い成果をもたらした、ということです。これを忘れないでほしいと思います。

(「初等科だより 第246号 2012」より)
三浦 芳雄