科長ブログ

 「潮騒」にみる人間像

2013年07月08日

  歌島の美しい情景描写から始まる「潮騒」が発表されたのは、昭和29年、三島由紀夫29歳のときでした。約50年以上も前の作品ですが、いま読み返してみましても全く古さが感じられません。登場人物のみずみずしい描写には、躍動感があふれています。

  沼津游泳場を思わせるような砂浜で、「初江」は、沖をじっと見つめています。
     (第一章より)
       一人の見知らぬ少女が、「算盤」と呼ばれる頑丈な木の枠を砂に立て、それに身を
      凭せかけて休んでいた。その枠は、巻揚機で舟を引き上げるとき、舟の底にあてがっ
      て、次々と上方へずらして行く道具であるが、少女はその作業を終ったあとで、一息入
      れているところらしかった。
       額は汗ばみ、頬は燃えていた。寒い西風はかなり強かったが、少女は作業にほてっ
      た顔をそれにさらし、髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。綿入れの袖なしに
      モンペを穿き、手には汚れた軍手をしている。健康な肌いろは他の女たちと変らない
      が、目もとが涼しく、眉は静かである。少女の目は西の海の空をじっと見つめている。
      そこには黒ずんだ雲の堆積のあいだに、夕日の一点の紅が沈んでいる。

  初江をみて、島の快活な女たちとはちがう、と思う「新治」でした。
     (第三章より)
       思い切って、もう一つ十円玉を投げ入れた。庭にひびきわたる拍手の音と共に、新治
      が心に祈ったことはこうである。
       「神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!
      わたしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、
      天候のこと、何事をも熟知し、何事にも熟達した優れた者になれますように!やさしい母
      とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように!海女の季節には、海中の母の体を、どう
      かさまざまな危険からお護り下さいますように! ……それから筋違いのお願いのようで
      すが、いつかわたしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!……
      たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような……」

  新治は初江に思いをよせるが、初江の父「照吉」は、島の権化です。
     (第十章より)
       照吉は歌島の、この島の労働と意志と野心と力との、権化だといってもよかった。一代
      分限の野鄙な精力に充ち、村の公職に決してつかない狷介なその気性は、却って村の
      主だった人たちに重んぜられるもとになった。望天観気のおどろくべき正確さ、漁撈と航
      海に関する無比の経験、村の歴史と伝統についての高い自負とは、しばしば人を容れな
      い頑なさや、滑稽なえらがりや、年をとっても衰えない喧嘩っ早さなどで差引かれたが、
      とにかくこの老人は生きているうちから、万事銅像のように振舞っておかしくなかった。

  新治の心情を思うあまり、母親は、無謀とも思える行動にでます。照吉に会って息子の心情を伝え、二人を添わせてやることだ、親同士の話合いのほかに解決の道はない、と考えたのです。
  しかし、照吉は、会いませんでした。母親は、孤独に陥ります。
  そんなある日、季節ごとに島へやってくる年老いた行商が、海女たちがほしがるハンドバッグを、鮑とり競争の賞品にしたのです。
     (第十三章より)
       一番と二番、初江と新治の母親は疲れて充血した目を見交わした。島でもっとも老練
      な海女がよその土地の海女に仕込まれた練達な少女に敗れたのである。
       初江は黙って立って、賞品をもらいに、岩のかげへ行った。そしてもって来たのは、中
      年向の茶いろのハンドバッグである。少女は新治の母親の手にそれを押しつけた。母
      親の頬は歓びに血の気がさした。
      「どうして、わしに……」
      「お父さんがいつか、おばさんにすまんこと言うたから、あやまらんならんといつも思う
       とった。」
      「えらい娘っ子や」
      と行商が叫んだ。みんなが口々にほめそやし、厚意をうけるように母親にすすめたので、
      彼女は茶いろのハンドバッグを丁寧に紙に包み、裸の小わきに抱えて、何の屈託もなく、
      「おおきに」
      と礼を言った。母親の率直な心は、少女の謙譲をまっすぐにうけとった。少女は微笑した。
      息子の嫁えらびは賢明だった、と母親は思った。

 初江も新治に惚れぬいている。しかし、照吉は甲斐性なしの安夫を入婿にするつもりでいる。こんなあほなことがあるか。新治の母親と海女たちは、照吉の家へいきます。
     (第十五章より)
      「初江と新治か」
      「ええ」
      照吉ははじめて顔を向けて、にこりともしないで言った。
      「その話ならもう決っとるがな。新治は初江の婿になる男や」
      「はじめはわしも怒っておったが、仲を割いてしまうと、初江が元気を失くしてしまって、
       このままではいかんと思うた。そこで策を案じたでなァ。新治と安夫をわしの船に乗組
       ませてじゃ、どっちが見処のある男か試してくれるように、船長にたのんだわけや。」
      「船長が新治に惚れ込んでやな、こんなええ婿はないということになった。新治は沖縄
       で、えらい手柄も立てて来たし、わしも考え直して、婿にもらおうと決めたところや。全体
       やな……」
      と照吉は語気を強めた。
      「男は気力や。気力があればええのや。この歌島の男はそれでなかいかん。家柄や財
       産は二の次や。そうやないか、奥さん。新治は気力をもっとるのや。」

 ここに登場する魅力的な人物像は、この作品が発表されたころの昭和20年代、30年代では決してめずらしくない、日本のどこにでもいるありふれた人物像のように思えます。しかし、今日の視点から考えてみると非常に魅力的な人間像に思えてなりません。それが作者の思い描いている理想的な人間像なのでしょうか。私の興味関心がつきません。

三浦芳雄
(「私の授業記録2012」より