科長ブログ

安倍先生の「日記」

2013年04月30日

 ある年の「小ざくら」に、安倍先生が「日記」という標題で、次のようなことを書かれていました。

 私はこの頃日記というものをかいていない。しかし日記はかいた方がいいにきまっている。私は昭和の始めごろ一度台湾に行ったことがあったので、私の文集の中からその紀行をさがし出して、久しぶりに読んでみたところ、こんな所も、こんな細部をも見ていたのかと、今さらのように驚くことも多かった。やはり自分の生活は記録しておくべきものだと、つくづく思った。
 昔の平安朝時代などにも、公卿たちの中にたんねんに日記を書いていた人があって、その人が別に気ばりもせず、じみに書き残した日記の中に、歴史に書かれていないできごとや、その当時の生活や、そのころの風俗や人々の心持ちなどが、かざりけなく現れており、歴史のほんとうの材料になって、非常に歴史学の役に立つことがたくさんある。
 しかし、もしその人が自分のつごうのためにうそを書いており、歴史家がそれにだまされて、ほんとうの歴史のように伝え、そうしてその歴史を読んだ人が、皆それをまに受けることになったらば、それこそ世の中に大きな害を及ぼすことになる。
 日記にはいつもほんとうのこと、ほんとうの心持ちを書かねばならない。一つうそをつけば、それから出てくるものはうそばかりである。一人のうそがそれを伝えた人のうそになり、また伝えられた万人のうそになる。自分が何よりもまず正直で、うそやごまかしをいってはならぬ理由はここにもある。(学校文集「小ざくら1958」部分引用)

 ここに綴られておられることから、いろいろなことが考えられます。初等科生の皆さんの生活にあてはめてみますと、まず授業中に記録するノートの必要性です。
 三日前の給食や、三か月前の給食の献立を、突然聞かれても返答に困ります。でも、献立表や某かの給食メモが手元にあれば、すぐ答えられます。詳しいメモなら詳しく答えられます。
 授業中の学習内容をノートに記録しておけば、それを見ることで、いつでも思い出すことができます。詳しいノートなら詳しく思いだせます。ノートに書かなかったならば、何も思いうかびません。授業は、なかったこと同然になってしまいます。残念なことです。
 また、誤ったことをノートに書いてしまうと、どうなることでしょう。たとえ、勘違いだったとしても、嘘の上塗りになってしまいます。
 このように考えてみますと、安倍先生のお考えは、私たちの人生に多くの示唆を与えてくださいます。それらの示唆を、私たちは素直に正直に受けとめていきたいと思います。


三浦芳雄
(「初等科だより 第250号2013」より