科長ブログ

ほめる

2012年04月01日

 ある日の作文授業のときでした。
「A君(仮名)、ここのところ、あなたの気持ちがよくわかる(ように書かれている)よ。」
と言うと、A男は笑顔をみせました。そして、原稿用紙のます目がどんどん埋められていきます。作文が嫌いなはずのA男ですが、今日は例外です。なにしろ自分が思っていたことや考えていたことを書けばいいわけですから、言葉はどんどん出てきます。誰よりも分かっていることを書けばいいので、いつものように迷うことはありません。いつのまにか原稿用紙は二枚も綴られていました。いつもは一枚未満で終わることが多いのに…。
 A男は、ほめられると俄然意欲を燃やします。
「何々をしましょう。」
などという学習課題には消極的です。そこで、
「えらいねえ。」
「りっぱだねえ。」
「すてきだねえ。」
というほめ言葉をかけて、A男の
学習意欲を喚起させようとしました。でも、徒労に終わりました。初めの一言、二言目までは人懐っこい笑顔をみせますが、三言目あたりから笑顔は消えていきます。そのうち、
「馬鹿にしないで」
という表情になります。どうすればA男の意欲を喚起できるのだろう。私は悩みました。

 しかし、A男の気持ちを考えれば、それは当然のことでした。自分の実情とかけ離れたところで、いくらいいと言われても実感がわきません。学習意欲を喚起するまでには至らないのです。

 そんなある日のこと、算数授業のときでした。ノートに書いてある式を示して、
「この式と考えを、(みんなに)話してみて。」
と促すと、たどたどしくはありますが、分かってもらおうと一所懸命に説明しました。聞いている友だちは納得し、A男は満足しました。

 ここであらためて「ほめる」ということを考えてみますと、子どもの進歩や向上のためにほめることは、根拠が希薄な耳触りのいい言葉をかけることではないと分かります。子どもが進歩するためには何をどうすればいいのか、具体的に把握し、具体的に示してあげることが大切であると分かります。子どもの実情を把握しないほめ言葉ほど、いかに虚ろなものであるかが分かります。成果は期待できません。
 では、子どもの健やかな成長を願うとき、どんな言葉をかけてやればいいのでしょうか。また、悩むところです。


(「初等科だより 第245号 2012」より)
三浦 芳雄